2004.03.22 : 平成16年3月臨時会

【2番(中島資浩議員)】 2月の市長選挙におきまして市長さんがかわられました。そこで、過去においても詩を生かしたまちづくりについて類似の質問をさせていただいた経過もありますが、改めて質問させていただきます。

 まず初めに、観光資源としての活用についてであります。前橋で詩といいますと、何といっても前橋の生んだ世界的詩人萩原朔太郎の存在があります。このことは、平成8年に候補地として名乗りを上げた国際的にも有力な都市である東京、京都を退け、本市で我が国で唯一の第16回世界詩人会議が開催されたことが裏づけています。そして、萩原朔太郎の存在があってこそ、平井晩村、山村暮鳥、高橋元吉、萩原恭次郎、東宮七男、伊藤信吉といった多くの有名詩人を輩出し、また北原白秋、室生犀星、草野心平といった日本を代表する詩人もこの地を訪れるなど、詩のまちとしての不動の地位を築くことができたものと思います。そういった意味におきまして、詩はまさに県内外から人を呼び込み得る前橋の貴重かつ大きな観光資源といっても過言ではありません。そこで、詩を観光資源としてどのようにとらえ、またこれを生かしてきたかお伺いいたします。

 次に、市民への意識啓発についてであります。詩のまちを今後さらに対外的に強力なPRを行っていくためには、まず前橋市民にその特徴をよく理解していただくことが大変重要であると考えます。そこで、市民に対する意識啓発をどのようにとらえ、これまでどのような取り組みをされてこられたかお伺いいたしまして、第1回目の質問といたします。

【指導部長(石川克博)】 萩原朔太郎は、前橋が生んだ日本を代表する詩人として高い評価を得ており、その功績をたたえるとともに、後世に伝えることが必要であることから、意識啓発は重要であるととらえております。その取り組みとして、学校教育においては郷土前橋の詩歌の副読本としての活用や児童生徒の文学館見学の実施、広く一般には萩原朔太郎賞と若い芽のポエムの制定など朔太郎の顕彰とともに意識啓発に努めております。

【2番(中島資浩議員)】 ありがとうございました。それぞれご答弁をお伺いいたしますと、いろいろとご努力をいただいているということがよくわかりました。

 ただ、率直に申し上げまして、その努力がいま一つ実を結んでいないようにも感じられます。そこで、観光資源としての活用について、さらに何点かお尋ねいたします。萩原朔太郎は、広瀬川、波宜亭、監獄裏の林等、いわゆる郷土望景詩を残しており、またその詩にまつわる多くの場所には詩碑が設置されております。しかし、まことに残念ながら、監獄裏の林の舞台となった前橋刑務所については、昨年刑務所の拡張工事により、れんが塀の一部が取り壊されるなど、その原風景が失われてしまいました。一方で、波宜亭のあった前橋中央児童遊園付近のひょうたん池やフジ棚、トンネル、クスノキ、風呂川など、まだ当時の原風景が残されている場所もあるようです。そこで、第1に、これを観光資源として生かすためには、原風景をできる限り残す取り組みも大変重要であると考えますが、ご所見をお伺いいたします。

 また、詩のまちとして萩原朔太郎が現在の中心地に住んでいたことから、この地にまつわる興味深いエピソードがたくさん残されております。そこで、第2に、そういったエピソード等について新たな観光資源の掘り起こしを図り、それらをプレート等で掲示する、あるいはパンフレット等にまとめてみてはと思いますが、ご所見をお伺いいたします。

 第3に、現在市内に点在する詩碑等、これを線で結んではいかがでしょうか。点を線で結び、ゾーン化につなげ、よりインパクトのあるものにするなど、詩のまちとして誘客を図るためには詩碑めぐり等、詩の散歩道的なモデルコースの設定とあわせ、これをガイドいただける観光ボランティアを募り、観光客の受け皿づくりに取り組んではと考えますが、ご所見をお伺いいたします。

 さらに、過日文学館を訪れた際、俳優の岸田今日子さんや江守徹さんらが朔太郎の詩を朗読した録音を大変興味深く聞かせていただきました。そこで、第4に、例えば朔太郎賞の授賞式に合わせ、仮称、朔太郎ふぇすたを開催し、俳優の詩の朗読会や朔太郎がこよなく愛したマンドリンの演奏会等を行ってはと考えますが、ご所見をお伺いいたします。

 次に、市民への意識啓発についてさらにお尋ねいたします。第1に、広報まえばしを活用した市民への意識啓発についてであります。過日3月15日号における広報まえばしの市民編集ページで、詩情豊かなまち前橋でという特集が組まれておりましたが、各号に十分なスペースを確保し、詩のまちについてのPRコーナーを設けてみてはと考えますが、ご所見をお伺いいたします。

 第2に、裁判所通りの朔太郎通りへの名称変更についてであります。萩原朔太郎生家があった場所は前橋市民にも余り知られておりません。そこで、市民意識の啓発の観点からも、また詩のまちを標榜する観光名所的見地からも、現在裁判所通りとなっております朔太郎生家跡前の道路名を地元のご理解をいただきながら、朔太郎通りとしてはと考えますが、ご所見をお伺いいたします。

 最後に、萩原朔太郎生家跡の問題についてお尋ねいたします。前橋テルサの国道を挟んで相向かいのかつて朔太郎生家があった場所に、現在マンションの建設が予定されております。詩のまちの象徴とも言える世界的詩人である朔太郎の生家跡に、果たしてマンション建設が許されてよいか甚だ疑問であります。前橋にとって、本当にそれでよいのでしょうか。いわば前橋の誇りでもある朔太郎を前橋市はもっと大事にしなければいけないのではないでしょうか。他県の例では、松江市の小泉八雲の旧宅は、当時のまま現存し、大きな観光資源となり、多くの観光客が訪れています。そこで、市として朔太郎生家跡を何らかの方法で確保し、いずれは敷島公園内に移築されている生家等をそこに戻し、仮称、朔太郎記念公園を整備することによって、新たな観光スポットとして整備し、中心市街地再活性化との相乗効果を図るべきと考えますが、ご所見をお伺いいたしまして、第2回目の質問といたします。

【商工部長(中原惠治)】 観光の見地から、詩のまちとして朔太郎の郷土望景詩を初め詩や詩碑の場所から当時を想像できる風景は大変重要であり、必要であると考えております。観光協会事業としても、朔太郎記念館や市内に点在する詩碑などを解説する案内板を設置をしておりますが、今後も必要に応じ、設置するよう要望していきたいと考えております。

 次に、現在において前橋文学碑めぐりや前橋詩碑めぐりを実施するとともに、詩のまち前橋めぐりやまえばし散歩などの詩をテーマとした観光コースを紹介した冊子を発行しております。また、観光ボランティアガイドにつきましては、現在詩のボランティアガイドとして文学館友の会にお願いをしておりますが、今後も観光事業を実施していく中で検討していきたいと考えております。

 次に、名称は違いますが、朔太郎フェスタ的なイベントといたしまして、文学館において朔太郎忌を行っております。現在も観光協会としてこのイベントを支援しておりますので、今後も必要に応じ、観光的な見地から支援し、誘客を図っていきたいと考えております。

【指導部長(石川克博)】 意識啓発についてでございますが、今後も市広報等を通じて、またさまざまな機会をとらえて意識啓発に努めてまいりたいと考えております。

【市長公室長(宮地英征)】 裁判所通りを朔太郎通りへと名称変更することについてでございますが、既に裁判所前通りという愛称で市民の間に定着している実情がございます。したがいまして、その愛称を変更することについては、地元や市民の間での盛り上がりなど市民主導の動きが大切であり、行政主導をもって定着をすることは非常に難しいというふうに考えております。市民の盛り上がりということに、さらに期待をしたいというふうに考えております。

 次に、萩原朔太郎生家跡地については、昨年民間事業者によるマンション開発計画が報道された時点で、民間開発事業者に協力依頼した結果、ポケットパーク的な整備を前提とした用地を確保していただいた経過がございます。そして、マンション開発にかかわる事前協議も既に進んでおりまして、民間企業としては分譲までのスケジュールが非常に厳しい状況にあると伺っております。このような状況の中で、一部業者の動きが遅いというような声も聞こえておりますけれども、民間事業者による開発計画にこれ以上行政として介入できないことに加え、用地を確保することについても民間の企業利益まで含めた膨大な価格で取得することは、現下の厳しい財政状況の中で市民の方々のご理解が得られないものと考えております。

【2番(中島資浩議員)】 それぞれご答弁いただきました。時間の制約もございますので、朔太郎生家跡の問題についてのみ要望させていただきます。

 昨年前橋のかつての糸のまちの象徴ともいうべきれんが倉庫が相次いで壊されました。なくなった後、それを惜しむ多くの市民の声を耳にしております。壊されてしまっては取り返しがつかないのです。このままでは前橋の特色や個性がなくなってしまいます。それは、ひいては前橋復興の糸口を失うことを意味しています。朔太郎生家を訪ねてきた人も、そしてそこを案内する近所の方々も、大変寂しい思いをしていると伺いました。特筆すべき特徴は、朔太郎生家が生涯40年ここで過ごし、多くの作品がこの地で生まれたということであります。ぜひ大所高所からご検討いただきますよう切にお願いをいたしまして、すべての質問を終わります。ありがとうございました。

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